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今日はラトビアの誕生日です

今日はラトビアの誕生日です。
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Daudz laimes dzimšanas dienā !!

本日11月18日はラトビアの独立記念日。
ラトビア語だと「Latvijas Republikas proklamēšanas diena」というそうです。
この日は、ラトビアが第一次世界大戦後にソ連から独立した1度目の記念日になります。

以下ほぼwikipedia「ラトビアの歴史」からの転載です。
一応調べてみましたが、おそらくあっちこっち間違っていると思うので、もし何かありましたらコメント等から教えて頂けると嬉しいですm(_ _)m

ロシア帝国の支配
18世紀になると、大北方戦争(スウェーデンと反スウェーデン同盟を結成した諸国とが北欧、中欧、そして東欧におけるスウェーデンの覇権と争った戦争)などのあおりを受けて、ラトビアはロシア帝国の支配下に置かれました。
しかし19世紀にはロシアより早く農奴解放を行ったため、順調に資本主義経済と市民社会を形成。
また、バルト三国ともにバルト・ドイツ人(十字軍で侵攻してきたドイツ人のうち、その後も支配層としてバルトに残った人々)が主要民族に対して啓蒙運動を起こしたこともあって、ロシアからの自立を望む声が増加。
第一次世界大戦後の1918年11月18日、第一ラトビア共和国がロシア帝国から独立しました。

この日は現在でも独立記念日として祝われており、ラトビアでは祝日として扱われています。
ただアメリカの独立記念日のような派手なものではなく、赤と白の薔薇を国旗のイメージで飾ったり、灯篭のような灯りを並べたりという厳かなイメージのものであるようです。
Kodai's Blogというブログ様で、昨年のラトビア独立記念日のことが書かれていましたので、ご紹介しておきます。
またラトビアのニュースサイトでも本日の独立記念日に関するニュースが複数紹介されていました。
ラトビアニュースサイト「applo」:http://www.apollo.lv/zinas/latvija
こちらのニュースでも、どこか荘厳で静かなイメージの写真が多かったです。


以下独立記念日とは関係ないのですが、興味深かったのでその後のラトビアについてもちょっとご紹介です。

上記の流れで独立し民主主義を進めたラトビアですが、結果大恐慌の影響を強く受けてしまい独裁政権が成立。
そしてその後、政治の安定化を図るために、独ソ不可侵条約をドイツとソ連と結ぶことになります。
しかしこの「独ソ不可侵条約」は、フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド及びルーマニアという独立国を、ナチとソビエトの勢力範囲に分けた秘密議定書を含むものでした。
この議定書の内容は、当時のドイツ、そしてソビエトで厳重管理され、周辺独立国には全く知らされていない物でしたが、ラトビアを含めたこれらの国々は、その後ナチスドイツかソ連のいずれかあるいは両方に侵略、占領、あるいは領土を譲ることを強要されることになります。

第二次世界大戦がはじまると、一度は独立を果たしたラトビアも、秘密議定書に従いソ連に併合。ラトビア・ソビエト社会主義共和国が誕生します。
翌年ドイツ軍が侵攻してきますが、ラトビア人はこれを「解放軍」として歓迎(「ドイツさんを頼りましょう」と言ってたのはこれのこと?)、しかし結局1944年にソ連に再征服されことになります。

長い歴史の中で、他国から多くの侵攻・侵略をうけたラトビア。
そしてバルト三国の中でもっとも早くソ連からの独立運動が展開されたのもラトビアでした。
1988年にはラトビア独立戦線が結成され、独立運動が展開。
1989年には、バルト三国で独立を求めるデモ活動「人間の鎖」が行われました。
そして1990年5月4日にはラトビア共和国がソ連からの独立を宣言。
1991年1月のリトアニアのテレビ塔の流血事件(血の日曜日事件。ロシアで行われた「血の日曜日事件」とは別のもの)と同じく、ラトビアでもソ連内務省特殊部隊の襲撃事件を起こします。
そして1991年8月21日にソ連がラトビア独立を承認。ラトビアは、ソ連から2度目の独立を果たしました。

11月21日:遅くなりましたが、拍手ありがとうございましたヾ(*´∀`*)ノ
ラトビアを含めバルト三国について初めてwikipediaを読んでみたのですが、知らないことばかりで興味深かったです。
特にWW2以降の三国の独立の流れは、もっと勉強てみたいです。

2月17日追記:同じくバルトのリトアニアの独立記事アップしました!
2月16日はリトアニアの誕生日です
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